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名古屋芹沢文学愛読者の会 「芹沢文学愛読者短信」第231号

名古屋文学愛読者短信 第231号  2023年10月30日 芹沢文学愛読者の会

■第4号『令和6年紙上3分間スピーチ』作成について

前号の短信 (230号) でお知らせしましたように、毎年1月に実施していた新年会を、陽気の良い6月9日(日曜日)に「芹沢文学愛読者の集い」として行います。
さらに、第3号まで発行した「紙上 3分間スピーチ」は好評につき、第4号『令和6年、紙上 3分間スピーチ』として作成します。

「記入要領」
1:記入用紙は同封のハガキを使用。二枚同封で一枚は予備
(個人でお持ちの白紙のハガキにパソコンで印字も可)
2:ハガキに記入する筆記具。
①黒のボールペン、黒のサインペン、万年筆 (黒インク使用)
②鉛筆は不可 (印刷機が読み取れないため)
3:文章はハガキ一枚片面。
4:締切令和5年12月20日 (水)
5:発行日令和6年1月25日送付予定
6:ハガキの送付先、および連絡先 「安井正二宛」

■名古屋芹沢文学読書会
芹沢光治良著「神の微笑』
第226回 11月12日 (日) 第6章
第227回 12月10日 (日) 第7章
場所:名古屋市港図書館集会室 (二階)
時間:午後1時半~4時半

■自伝抄第4回
『捨て犬か雑草のように 芹沢光治良』

「厄介者の餓鬼となる」
実際網元の旦那から、老いぼれの漁夫に転落して、しかも富裕な親類からは、信仰をうつされてはと、つきあいをたたれ、村の衆からも冷たい目を向けられる日々で、祖父が不機嫌になるのは当然だが、おまけに、暮らし向きが苦しくて好きな浄瑠璃もすてたから、時々は端の者に怒鳴りたくなっても無理はない。

でも、私はこんなに落ちぶれたのは親爺のせいだと、いつも叔母に言われるので、子供心に親爺に代ってやり切れない思いだった。
しかし、落ちぶれたとて、二人の叔母がかたつくまではご飯に麦が入り、おかずがなくなっても、西風の季節に絶食するほど貧乏ではなくて、さすが大釜の底だと、陰口をきかれたそうだ。
下の叔母が嫁に行ったのは、小学校二年生になったばかりの時で、私は小さな家ながらも独り天下になったようで、家中駆けまわってしかられたが、嬉しかった。

或る夜半、いっしょに寝ていた祖父の言葉をきいてしまった・・・わしは、坊主さえいなければ、もう土をかぶりたい。あの東京の旦那は連れに来てくれないかね・・・くめ、あの時彼奴の希望通り沼津の兵学校にやっとけば、天理教に迷うこともなかったろうかなあ、と。
坊主とは私のことなので、全身を耳にした。

祖母が囁いた―ね、身を落として村のみんなと苦しみをともにすれば、神さんがみんなともどもに幸せにしてくれますよ。 その数日後、祖母は町へ魚の行商を始めたのだった。
祖母が祖父の釣った黒鯛やせいごをもって町へ行商をはじめたことは、信仰上の英断だったろうが、わが家の零落した象徴のようで、村の衆の噂にもなり、親しい人を悲しませた。
私は子供心に祖母をあわれんで、しばしば村はずれの道に立って一本路を町から帰る祖母を待ったものだが、それが土産欲しさにとられて、辛かった。

祖母が行商をはじめて一年もしないで、叔父達が相談して、三男の叔父夫婦が相続者になって、わが家に移り住んだ。
この叔父も父の被害者であるが、ただの舟子ではなくて一隻の漁船の持ち主であつたから、祖母は生活的に助かったが、担母は行商をやめなかった。

その時、叔父夫婦には私より年下の三人の子供があった。叔父も叔母も好人物であったが、この時から祖父はあからさまに私を厄介者扱いにした。
学校から帰ると、一歳になる従妹の子守をさせられ、冬には週に二三回、近所の小学生といっしょに、牛臥山や焼き場のある松原に、落ち葉をかきに行かされた。

その松原に現在私の文字館が建っている。文学館を訪れる度に、落ち葉が少なくて困った少年の日を思い出すが。
浜に打ちあげられた木片をひろいに行った。夏には、祖父の黒鯛釣りの餌に、たにしを稲田に採りに行くのが私の役がだった。稲の葉に目を突かれて田を這ううにして、両手でたにしを探していると必ず農民に見つかってーこの餓鬼、また田にはいったなと、遠くから怒鳴られて一目散に逃げ帰ったが、その頃には私はもう坊ちゃんではなくて、家でも餓鬼だった。

そんなことは悲しくはなかつた。明治時代の資しい漁村では、子供はみなそんな扱いを受けたから。冬には西風が激しくて三か月ぐらい出漁できなくて、小学生も弁当にさつまいも一切れとか、正月の残り餅一切れを持参できればいい方で、何も持って行けないで、昼の鐘が鳴るとすぐ外へ出て井戸水を飲んで、飢えを耐えた。その人数が多いから、子供も臆することなく我慢できたが、学校でも同情しなかったし、問題にもしなかった。

つづく

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